『あざとい』と『したたか』の分かれ目

テレビでたまたま「あざとくて何が悪いの?」が流れており、

何が悪いのって、『あざとくされた人が損するところ』じゃないかなー。

なんてことを番組を眺めながら思ってました。

あざとい

やり方があくどい。ずうずうしく抜け目がない。

goo国語辞書

やはり批判寄りの意味です。

「あなた、毎度あざとい ですね」と言われ、手放しで喜ぶ人はあまり居ないのではないかと。

しかし一方で、『したたか』という言葉もあります。

したたか

粘り強くて、他からの圧力になかなか屈しないさま。しぶといさま。

goo国語辞書

こちらは肯定寄りですね。

「あなた、毎度したたかですね」と言われたなら、そんな悪い気はしないかと。

ずる賢いテクニック的な言動で自分を有利にする

といった点で、どちらも共通してます。

「任務は遂行する」。「部下も守る」。「両方」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな。覚悟はいいか?オレはできてる。

ジョジョの奇妙な冒険 第5部~黄金の風~

こういった心境にならざるを得ないことって、仕事でもどうしてもありまして。

特に部下の不備に対して外部から責められるような場面となると、状況を隅々まで把握できていない中で、それでも今後のために部下や自部署のダメージを軽減しておきたいわけです。

とはいえ我々はスティッキー・フィンガーズを使えませんので、多少なりとも『ずる賢いテクニック』を駆使することも、まあ良くあります。

駆使することで、少なからず自分たちには良い方向に誘導できるわけです。

その際の周りからの印象が『あざとい』だと残念な感じですので、できれば『したたか』に位置づけたいです。感情もった人間ですもの。

ということで『あざとい』or『したたか』は、どう分岐するのか?考えてみました。

ずる賢いテクニックばかり乱用してる人は『あざとい』

ということになるのではないかと。

普段から誠実で信用・信頼されている人が、たまにずる賢いことをしたところで『あざとい』とはならないと思います。

徳を積めているか?ということですかね。

徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義など

ウィキペディア

ずる賢いことをすれば徳は減るし、逆なら徳は増えていく。

積み上げるほど潤沢に徳を持ってないにしても、まだ徳が残っているうちは『したたか』とされる。

徳がもうマイナスになっているような人は『あざとい』と認識されている。

そんな感じなのかなと思います。

『あざとい』とされてしまってる人は、ちょっとしたことでも「またあざといことしてる」って思われたりしますよね。

相手にもよる

相手がパワハラ気味だったり、批評家だったりするような場面であれば、ずる賢いようなテクニックを駆使して乗り切ることをしても『したたか』認定になるかと思います。

そういう徳が大幅マイナスな相手というのは、みんな割と認識してます。

参考記事:いつの間にか「無能な批評家」にならないための視点

多少の『あざとさ』で駆逐したところで、こちらの徳が減ることは少ないです。むしろ増える場合だってあるわけです。

素直すぎて損してる人もいる

結局のところストレス社会です。

正直すぎて仕事が片付かず、結果的に周囲の足を引っ張ってしまっている人、けっこう見かけます。

そうならないためにも「あざとくて何が悪いの?」といった考えも必要なのが現実のようです。

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