
とある工場に行った際、保護メガネを持っていく必要があったのですが
部下が忘れて来てしまっていました。
当日は特に話題にすることなく帰宅したのですが
後日、その忘れ物をした部下から↓苦情をもらいました。
「忘れたの?これ使いな。って、自分のものを部下に差し出すのが上司では無いのですか?」
「何も声をかけてもらえなかったのが残念でした」
私も上司の立場として、部下の主張は極力理解を示したいですし、
歩み寄るようにしているつもりです。
ですがこの発想って、親に依存する子供の発想ではないかと。
この主張をされたのは、いわゆる高ストレス者に対するフォロー面談の場でした。
私の勤める会社では「メンタルチェック」を定期的に行っており、メンタル不調の判定となった人には上司がフォロー面談をしています。
この部下は前上司の時からずっと、メンタル絶不調の判定が続いており、毎回面談しています。
以前から「職場に相手を気遣う風土が無いことが不満」とは聞いていました。
けどそれが、
「忘れ物をしても何も言わない僕に、上司が持ち物を差し出してくれない」ことを嫌な風土と捉えて不満に昇華している
とまでは想定していませんでした。
それは風土の問題ではない。
彼は社会人として、基本的なところを勘違いしてしまっている。
彼の求める「風土」とは、
「部下に言いにくいことがあったら、上司が自動的に『察して』助けてくれる」
といったところでしょう。
しかしながら、ほとんどの上司は、エスパーではありません。
ビジネスにおいて「言わなくても分かるだろう」は、齟齬の温床になります。
言いにくいことや確認しにくいことほど、重要な要素であることが多く、早期に共有しておく必要があります。
なので上司に求められるのは「察すること」ではなく、「心理的安全性の確保」ということが、一般的に言われているわけです。
これを勘違いして「言いにくいこと」を察してもらうまで待ち、察してもらえないから業務に支障が出るとか、
ましてやそれを自分ではなく上司側の問題と捉えて高ストレスになる。
というのは、残念ながら社会人として致命的です。
重要な仕事を任せられないですし、メンタルにおいても損しかないです。
期待に対する結果のギャップがストレスになるわけで、期待をズレたところに置いてしまっていると、そりゃあストレスだらけになりますよね。
とはいえこれって、できる人には当たり前のことなのですが、とことん苦手な人も一定数いて、新人の頃にきちんと指導教育しておくことが重要に思います。
小学生だって教科書を忘れたら先生に「忘れました」って言える子と、
言えずに黙っていて「ちゃんと自分から素直にいいなさい」と何度も先生に叱られている子が居ますよね。個性なのでしょう。
けどそれだと致命的な職場が多いのも事実です。
仕事のスタイルが固まる前の若いうちに、先輩たちがフォローしてあげることが重要ということに、彼と接していて気づきました。
ちなみに「察してくれる」求める彼は
すでに配属して10年以上経過し、年齢も30代後半です。
こういったことを指導しても素直に受け入れられません。
職場に慣れたことによる、甘えも少なからずあるのだろうと思います。
さりげなく指導していきますが厳しいかも。
となると異動のような環境変化が必要かもしれない
と考える状況です。
こうならないためにも、新人・若手の時代には
仕事の手順よりも、こういう「困った個性」への指導が重要ということですね。
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